2021年の春から国際芸術センター青森(ACAC)で滞在制作していた時、津軽の人たちからよく聞くことの一つは、「八戸は遠い」ということだった。車だとたっぷり2時間はかかる。でも「遠い」というのは、どうやら物理的な距離ばかりでもなさそうなのだ。それは高い山を隔てた地理的条件や気候の違い、そして南部地方と津軽地方との歴史観や文化の違いもあるらしい。
ときどき八戸からACACまでやってくるマモさんは、「遠い」八戸のあれこれを、私に教えてくれた。私が開いていたワークショップ、「ACACの写真部」が始まった時、マモさんは一度参加してくれて、それから友達になったのだ。
マモさんから聞く八戸の話は興味深く、例えば同じ北国でも南部と津軽では寒さの種類も全然違うらしいのだ。八戸はさほど積雪はないけれど、海からの冷たい風「やませ」が吹きつけ、実は津軽の冬よりも寒く、道路がツルツルに凍るという。
それまで一度も行ったことがなかったので、夏になってマモさんに八戸を案内してもらった。そして八戸は、蕪嶋神社や種差海岸などに代表されるような景観が美しい街というだけでなく、興味深い歴史資料がたくさん残されている街だということがわかった。やがて私は八戸に通い、明治時代の八戸で起きたコレラの大流行のリサーチを始めた。世界中が新型コロナ感染症に巻き込まれていた当時、100年以上前の八戸を襲った感染症の歴史を知っておきたい、と思ったのだった。
そんな日々を過ごしていたその年の秋、八戸市美術館がリニューアルオープンした。リニューアル開館記念展となった「ギフト、ギフト、」は地域の固有の歴史と文化をまなざした展覧会であり、さっそく初日に、ACACの学芸員の慶野結香さんや、同じ時期にACACで滞在制作をしていたアーティストの内田聖良さん、北條知子さん、村上美樹さんと見に行った。その頃は、今よりもずっと新型コロナ感染症の行動制限が厳しく、まだ地域間の移動が非常に慎重だった頃だ。しかしオープニングには、リニューアルを祝って市民だけでなく、各地からたくさんの人が訪れていた。
とりわけ美術関係者が多く訪れていたのは、言うまでもない。出品作家で「KOSUGE1-16」の土谷享さんと久々に会えたり、映像作家の大澤未来さんや写真家の田附勝さんと、ご本人の作品について会話できたのは良い体験だった。そして最高に嬉しかったのは、以前は十和田市現代美術館の、今は熊本の不知火美術館のキュレーターである里村真理さんに再会できたことだった。
普段は都内の美術館や、どこかのアートプロジェクトの現場で会うような懐かしい知り合いたちと、あの日、いちどきに会えたのは、今思い返してもいい思い出だ。コロナ前の楽しくて自由な日々が一瞬だけど、久々に戻ってきた、そんな特別な一日だった。それが自分の住んでいる街でも東京でもなく、八戸だったのだ。
さて2022年になり、マモさんは私の制作を本格的に手伝ってくれることになった。実はマモさんの職業は、八戸市美術館のすぐそばにあるラジオ局「BeFM」のパーソナリティなのだ。それで映像作品のなかで、声で出演してもらうことになったのだった。収録は2月の雪深いACACで行った。語りのプロに関わってもらえたことは、私の作品にとってラッキーなことだっだ。その役柄は「人」ではない存在だったのだが、事前に打ち合わせを繰り返し、マモさんは作品のコンセプトをよく理解してくれて、演じてくれた。
さて無事に全ての制作が終わり、2022年4月にACACで私の個展がオープンした。すると、なんとBeFMで、個展について5日連続で特集を組んでくれることになり、今度は私が八戸まで収録にいくことになった。聞き手はもちろん、マモさんだ。
収録の日、少し早く行って、隣の八戸市美術館をまた見に行った。ちょうど八戸の郷土作家や郷土資料に光をあてた企画展「持続するモノガタリー語る・繋がる・育む 八戸市美術館コレクションから」が開催されていた。画家の今川和男さんの作品や、美術教育で内外から評価されている坂本小九郎さん監修の教育版画など、マモさんたち八戸市民にも馴染み深い作品が多く出品されているということで、街の人々と作家たちとのつながりを聞いた上で鑑賞するのもおもしろかった。そして鑑賞後にBeFMで行った収録では、マモさんの柔らかで落ち着いた語り口や、こちらの話を自然に引き出す話術に圧倒され、あっという間に、そして楽しく終わった。
青森での個展も既に2年前のこととなった。これを書きながら、ふと、私は青森市に住んでいた間、いったい何回、八戸に通ったのだろうかと思った。数えてみたら6回も訪れていたことがわかった。私はかなり八戸が好きだったんだなと、一人で笑ってしまった。つまり、八戸は決して遠い街ではなかったのだ。
さて青森県では4月から青森5館連携の企画「AOMORI GOKAN アートフェス2024」が始まるそうだ。リニューアルオープンして2年経つ八戸美術館では、八戸在住のアーティストたちが訪れる人々と出会う場所となる「エンジョイ!アートファーム!!」というプロジェクトが展開される。私と八戸ゆかりの人々、アーティストとの出会いとなった場所も、またACACであり、そして八戸市美術館であった。これを読んでいるあなたにも『AOMORI GOKAN』のどこかで、アートとの新たな出会いがあるといいな、と思っている。
松本美枝子
写真家、美術家。人々の日常、人間や自然の「移動」をテーマに、写真とテキスト、映像による作品を発表している。近年では拠点「メゾン・ケンポク」を企画運営し、地域に場を開きながら、活動拠点の茨城でリサーチ過程を共有しながら自主プロジェクトを展開する。また主な展覧会に個展「ここがどこだか、知っている。」(ガーディアン・ガーデン、東京、2017年)「ヨコハマ・パラトリエンナーレ」(横浜、2020年)など。2021年度、国際芸術センター青森で長期の滞在制作中であり、2022年度春に個展「具(つぶさ)にみる」を開催予定。著書に写真詩集『生きる』(共著:谷川俊太郎、ナナロク社、2008年)など。